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なかなか収まらないものだらけの現在ですが いかがお過ごしでしょうか。管理人です。 (^^)vそろそろ平凡な日々が懐かしく感じますね。 刺激は平凡があっての極みです。次にまた平凡な日々がかえってきたら今度はゆっくりと味わいましょうね。 それを楽しみに・・・

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一口メモ(2012年11~12月)

「認める」(12.11.7更新)

アメリカの大統領選挙の結果は予想に反してオバマ大統領が圧勝しました。
アメリカ大統領選挙でいつも思うことがあります。
一つはご存知の通り候補者の演説のうまさですね。
原稿を見ることもなく、シンプルな分かりやすい言葉で、力強く聴衆に訴える様子は、見てるだけでパワーを受けますし、信頼できそうな気になって来ます。
もうひとつはお互いの激しい中傷合戦で、こちらはいただけません。最後の一つが、敗れた候補の演説ですね。率直に敗北を認め、勝者に祝福のメッセージを送ります。今回のロムニー候補は敗れたにもかかわらず、全国民にアメリカ発展のための協力を呼びかけていました。選挙中の聴くに堪えない中傷合戦は何だったのだろうと理解に苦しみますが、これが民主主義の先進国のコミュニケーションのあり方なのかもしれません。お互い戦っている間は勝つためにあらゆる手段を尽くしますが、決着がついた後は、「意見の違う相手の存在を認める」ということがしっかりと見について居るということでしょう。
確かに、注意深く見れば、彼らのやり方は合理的、理性的な判断に貫かれているように思います。戦う場ではルール違反にならない限り出来る事は何でもやるし、中傷合戦も、それがマイナスに働かない限り目いっぱいやりますが、違う考え方、やり方がある事はしっかりと認めています。「恥の文化」とも言われる日本人の精神構造にはなじまないやり方ですが、異質な考え方があるという事実を冷静に受け入れるという考え方は、個人間のコミュニケーションでも極めて大切なことで、コーチングでは相手の事を認める「承認」を最も重要なスキルの一つとしています。
「認める」ということは高く評価したり、好きになる事とは違います。
例えば、上司である自分の方針に反対する部下がいたとします。その部下に対して、「その考え方は間違えている」と攻め立てたり、「それなら出ていけ」と排除をしたりすることは、その人を認めていないという事です。「君が反対している事は分かった。しかし今回はこれこれの理由で協力してくれ」というスタンスを取る事が相手を認めるという事です。相手の考えに賛成をしているわけではありませんが、そのように考えている事は認めているわけです。
とかく情緒的な判断に傾きやすい我々日本人は「相手を認める」という方法を少し練習する必要があるようです。

「自分を変えたい」(12.10.14更新)

これはおそらく全ての人が一度は考えた事のある欲求ではないでしょうか。私たちの成長の過程で必ず起こる必要な欲求です。それが強く意識されるか、されないかの違いがあるだけです。解決策として先輩の話を聞いたり、自己啓発書を読んでみたりということは誰でも試みていることでしょうが、「変えられた!」という達成感を味わうことはなかなか難しいことです。
しかし、自分を変える確かな方法があります。それは「行動を変える」事です。
私たちは知識を得ても、それだけでは何も変わりません。知識を生かして行動することによって初めてその行動から「何か」を学び取ります。「ものごとは良く考えて、冷静に論理的に考えて取り組まなければならない」と教えられ、またその通りだと思っています。しかし実は私たちはかなり本能的欲求に従って日常生活を送って居ます。例をあげればきりがありませんが、ダイエットの難しさは理性と本能の戦いそのものです。スカイツリーの展望台にあるガラスの床に怖くて乗れない人が居ます。テレビ画面に二人の顔を見せて好きな方を選ぶという実験をすると、答えのスイッチを押す一瞬前からその人の視線は好きな人に集中して行くそうです。良く考えて判断したつもりでも実は本能的に判断しているのです。
この事は学習についても同じです。学習と言うといわゆる学校や研修あるいは訓練をして何かを学び取る事を思い浮かべますが、実は私たちが生きるために必要な生活の知恵のようなものは、私たちが無意識のうちに本能が周囲の環境から学び取って居るのです。「子どもは遊びから学ぶ」と昔から言われますが、実は大人もそうです。私たちは耳や目の五感を通じて絶えず刺激を受けています。実はその刺激自体が学習です。「習うより慣れろ」「お役人頭」などと言われるのは繰返し同じ刺激を受けることによって、やり方を覚えたという事です。
自分を変える事は、今のやり方から何かを変えることによって知らないうちに結果として変わります。それはあなたが今まで知らないうちに大人になってきたと同じです。ただ意識的にその中の何かを変えてみることによって、確実に変われます。これがコーチングで行動することを重視する所以です。
「集中力」(12.9.16更新)
今、テレビの「所さんのそこんところ」で動物に鏡を見せたらどうなるか、という実験をしていました。動物はそれぞれ反応が違いますが、さすがにチンパンジーだけが自分が映って見えていることを理解し、頭や背中に付けたリボンを鏡を見ながら取ろうとしたりしました。チンパンジーのDNAは97%以上、人間と一致しているそうですから、鏡に映って居るのが自分である事を理解することも可能なのでしょう。
これを見ていて、もうひとつチンパンジーの話を思い出しました。京都大学の霊長類研究所で行った記憶力の実験です。テレビのモニター画面に数字のカード数枚(例えば1~5)をでたらめに配置した映像を1~2秒間見せて消します。次に何も書いてないカードを同じ配置にした映像を見せます。チンパンジーが前の画面で覚えた1~5の位置のカードに正しく順番にタッチしたら、手もとにバナナが出てくるようにしておきます。もちろんはじめは1枚から始め、次第に2枚3枚と枚数を増やして学習するわけですが、その記憶力は研究所の学生よりもはるかに優れています。カードが5枚以上になるとその差は歴然としていて人間の学生は何回かチャレンジしないと出来ないですがチンパンジーは一瞬にして全てのカードを正しい順番でタッチしてバナナをゲットします。これは「記憶力」の違いとも言えますが、「集中力」の違いとも考えられます。
一流のスポーツ選手や、小説家、芸術家等が優れた成果を出したときに、「体が自然に動いた」とか「神様が降りてきた」等と言います。僕はテニスをやりますが「よし、決めてやる!」等と思って打ったスマッシュやボレーはかなりの確率で失敗します。「集中する」ということは余計な事を考えずに本能的にあるいは無意識のまま体の反応に任せてプレーすることです。
何事も練習を重ねてゆくとその事だけの特別な脳の回路が出来て、考えなくても体が反応するようになります。「集中力」とは余計な事を考えず無心になってプレイすることです。いいかえると「前頭前野の活動を止める」事です。「これを決めれば勝てる!」等と考えるから失敗するのです。
スポーツの例でお話しましたが、小説家や芸術家の発言や、チンパンジーの例をみると思考や感情、記憶等も集中力が影響するようです。数日前に玄侑宗久さんのお話を聞く機会がありましたが、お経を読むときも「間違えるかもしれない」と思って読むと間違えるそうです。我々は前頭前野の判断に頼りすぎている、もっと体の声に耳を傾けた方が良いということも言って居られました。座禅や瞑想はその訓練の一つですが、訓練すると何故か的確な判断が出来るようになるそうです。
私たちの脳は動物として生きるための「古い脳」と後から人間だけが異常に発達した「新しい脳(大脳新皮質)」という部分があります。この「古い脳」には我々の想像を超えた「超能力」が備わっていると考えられています。古い脳の力をもっと活用すべきだというのが玄侑さんのお話と思います。

「コーチは教えない」(12.8.12更新)
「コーチ」は原則的に答えを教えることはしません。相手の人が自分で答えを見つける事をサポートするだけです。何故かといえばその方が相手のためになるということを経験の中から学んだからです。
コーチングはアメリカで開発されたコミュニケーション技術です。アメリカでは昔からプロスポーツが盛んでした。ゴルフ、テニス、バスケ等ほとんどがプロで、一つのビジネスとして扱われて来ました。勝てばお金が儲かる訳です。そのために選手もコーチも勝つためにイロイロ研究を重ねました。その中で学んだ一つの事実は「スポーツは目標に向かって意識を集中し、ひたすら練習を重ねる事が一番効果が上がる。コーチは技術を指導するよりもその目標を明確にしたり、努力が継続できるように励ましたり、ヒントを与えたりするだけの方が良いという事実を経験的につかんだためです。その事がテニスの指導書「インナーゲーム」という本に著され、多くのプロスポーツ選手、コーチに共感されました。やがてこの考え方が一般のビジネスマンにも当てはまるのではないかという事でビジネスマン向けに優れた指導者のコミュニケーション技術を集めてできたのが「コーチング」というものです。
昔、プロ野球の大洋ホエールズ(今のディーエヌエーベイスターズ)に権藤監督という人がいました。現役時代は名投手の一人でしたが引退して監督になるためにダイリーグのキャンプに勉強に言ったそうです。20年以上前のことです。驚いた事に大リーグの卵である選手たちは非常に野球が下手である事、にもかかわらずコーチは彼らに一切教えないし、権藤監督にも教えないように注意があったそうです。
あるとき、中でもとても下手な選手がいつもみんなの練習が終わってからも熱心に一人で練習していることに気がつきました。その熱心さにほだされてちょっとアドバイスをしたところすぐにそれを習得して見違えるように上達したそうです。翌日、その選手は元気いっぱい上達した技術を披露し、コーチたちは盛んに「いいぞ! その調子だ」などと声をかけて盛りたてていました。権藤監督はホッとしてやはり少しは教えた方がいいな等と考えていたら、帰りがけに米国のコーチから「権藤、まさか彼に教えなかったろうな! 教えた技術は本番では役に立たない。絶対に教えるな」と言われたそうです。
20年以上前からコーチングの発祥地アメリカでは「コーチは教えない」という方針が徹底されていたようです。
誰でも自分で考えた事が正しかった、上手く行った、という時が一番うれしいものです。
スポーツでもビジネスでもそれは同じです。
相手の人が自分で考え行動して答えを見つけられるような関わり方がもっと上手にできるように早くなりたいものです。

「認知スタイル」(12.7.12更新)

3月の例会で「認知スタイル」について学習しました。「逆境に耐える力」を養うためには普段から「ものごとをポジティブに捉える」「結果ではなく過程」に着目するなどの習慣をつけること、具体的には「すぐに永続化しない」「すぐに一般化しない」「すぐに自分のセイにしない」などの努力が必要という内容でした。これは性格ではなく、後天的に身に付けた習慣なので練習で直せます。
気になる方は是非練習してみてください。
今日のウェブの「日経コラム」で和田秀樹さんが「うつ病になりやすい思考パターンとテレビ問題」というタイトルで次のようなことを
言っておられます。要点をまとめると
*40歳以下の最大の死亡原因は自殺、その最大の要因はうつ病である
*うつになりやすい人は考え方には次のような特徴がある
①ものごとを白か黒かに区別したがる「2分割思考」
②一部を見ただけで全部そうだと考える「一般化思考」
③ものごとはこうあるべきと考える「完全主義思考」
更に加えて、和田秀樹さんはテレビを見過ぎることに警告を発しています。その理由はテレビはご承知のように「視聴率」が勝負です。
以下にして視聴者の関心を高めるか、そのためには「2分割」「一般化」「完全主義」が効果的なので、番組構成は全てその傾向にあります。
それを無意識に見続けると私たちの思考回路が同じパターンになるということです。
未来楽考では脳の仕組みについても勉強してますが、この指摘は脳科学的にも間違いなく言えることです。
お互いに気をつけましょう。

「心の荷物」(12.6.27更新)
海外旅行は楽しいですが、思いスーツケースを運ぶのは大変です。何をするにも私たちの行動を制限します。
同じように、私たちは心にも重い荷物を背負っている事があります。たまに背負った荷物ならば疲れて休むことも出来ますが、いつも背負っているとやがて気がつかなくなります。
ただ、なんとなくやる気が出ない、面倒、体が重い感じ等という症状は出るのですが、これも気がつかなくなっる事があります。自覚症状のない「生活習慣病」のようなものです。
むしろ「心の生活習慣病」と言うべきかも知れません。
気がかりや不安が、その「心の荷物」です。やらなければならないけれどやってない事、ホントはいやなんだけど我慢していること等です。前者を「未完了」後者を「妥協」と言って心の荷物の代表的なものです。
解決方法は大きく分けて3つ程あります。
第1は「ハッキリと認識する」ことです。気がかりや妥協を具体的に書きだしてみることです。
これだけでも気持ちが軽くなる事がありますが、更に具体的に書きだすことによって解決に向けて
取組み易くなります。
第2は「その原因を解消する」ことです。未完了は完了させること、妥協はその状況を具体的に解消
して妥協をやめる事です。第3は「解釈を変える」ことです。例えば「妥協から得ているメリット」
「妥協をやめて得られるメリット」などを考えて冷静に判断すると「妥協している事がベストの方法かもしれない」等と思えます。このように解釈が変わっただけで、気分はまるで違います。第3の方法は自分の頭の中だけで、いつでもどこでも出来ます。是非試してみみる事をお薦めします。6月の例会で扱いました。

「ほめる」(12.2.21更新)
「褒めて育てよ」等といわれます。子供ばかりでなく大人でも人に褒められればうれしいし、もう少し頑張ろうかな?等と前向きな気持ちになります。

私たちが人を褒めるとき、相手の人がこのように、更に頑張ってくれる事を期待しています。
一方で「ほめるところがないんだよな」等と厳しい管理職の言葉もよく耳にします。得てしてこういうときは、仮に褒めたとしても上手く行きません。「頑張らせるために無理に褒めていることが相手に伝わってしまうからです。
一般に「ほめる」というと、その人の仕事の成果や行動について褒めています。それは大切なことに違いはないのですが、実は私たちはそれほど褒められたいとは思っていません。むしろ、上手くいかない時、成果が余り上がって居ない時に、その状況を理解してほしい、頑張って居る事を認めてほしいと、かなり強く思っています。
人は誰でも「人よりすぐれていることを認められる」よりも「おなじ仲間の一員として認めてもらいたい」と強く思っています。
電車の中で席を譲る、すれ違う時に軽く会釈をする、髪型を変えたことに気がついて一言声をかける、話をちゃんと聞く、相談する、任せる・・・・などなどは皆、相手の存在をそれぞれのレベルで認めている結果の行動です。自分にとって相手の人の存在を認めているというメッセージを伝えていることでもある訳です。
職場でも家庭でもまた街の中でもそれぞれのレベルで相手の存在を認めることはとても大切なことです。
「ほめる」ことは、私たちはかなり慣れています。これからは「存在を認める」方法を練習してみましょう。慣れてくると褒める事よりやさしいし、しっかりとした信頼関係を築く事が出来ます。

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